2013/05/29 (Wed) 20:51
「これはほんの気持ちですが」
人気の無い神殿の廊下の一角。
そこでそんな事を囁いてチャリ、と金属の擦れ合う音のする小さな布袋を受け取る老巫女と、それを渡す商人らしき男を、カレンは近くの部屋から出ようとして偶然目撃した。
人気の無い神殿の廊下の一角。
そこでそんな事を囁いてチャリ、と金属の擦れ合う音のする小さな布袋を受け取る老巫女と、それを渡す商人らしき男を、カレンは近くの部屋から出ようとして偶然目撃した。
とっさに出入り口の影に隠れ、こっそりと耳をそばだてる。
少女の耳に、巫女の皺枯れた声が、廊下に僅かに反響しつつ聞こえてきた。
「どうも痛み入ります。貴殿の歩く先にマーヴェル様の導きがあるよう、こちらも強く祈らせて戴きましょう。良ければ護符もお持ち下さいな」
「おお、それはありがたい……」
商人の方も、その答えに気を良くしたのか、明るく声を上げる。
段々と遠のいていく二人の声にカレンは彼らが立ち去った事を知り、念の為そっと廊下に顔を出して無人である事を確認してから部屋を出る。そうして小走りに廊下を駆け抜け、先程の部屋から持ってきた頼まれ物の新しいシーツを担当の者に渡して神殿の奥にある自室へと戻った。
中に入って扉を閉めたところで、カレンは扉に背を預けてずるずるとしゃがみこみ、膝を抱えて床に蹲る。
(この神殿は腐りきっています……!)
先程のような事は珍しい事ではない。
帝国率いる諸国連合軍に対抗する為、五王国を纏め上げ作られたこの聖王国が建国されておよそ千年。王家の血筋による独裁を防ぐためにと巫女の役割を王家から分離して、ほんの数十年。国の歴史に比べれば随分と短いその時間で、国を守る巫女達の住まうこの神殿は酷く腐敗していた。
「女王陛下が知ったら、どれほどお嘆きになられるか……」
美しく偉大な姿と力を国の内外問わず見せ付けている神殿の、その中身は酷いものだった。
特に筆頭巫女であるジーナの現在の行状は、思わず目を逸らしたくなるものが多い。
身に纏うのは絹で作られた法衣であり、寄付された装飾品を殆ど私物のように身に着け、食事も各地から取り寄せた高級食材を使ったもの。王侯貴族もかくやという贅沢な生活を送っている。
王宮からもぎ取った予算の数割を孤児への支援に使っているという触れ込みだが、回される額と現場で使われる額には大きな開きがあり、その差分は彼女の懐に入っているというのが通説だ。
ジーナは孤児の身から努力によって巫女となり、その優秀な頭脳を買われて神殿を率いる筆頭に抜擢された立志伝中の人物であり、彼女への憧れもあって遠い田舎から巫女見習いとして神殿に入ったカレンにとって、現実を目の当たりにしたショックは大きかった。
神殿を王家の管轄から外した事は、この状態を見る限り間違いであったと言わざるを得ない。
遠くで小さく鐘が鳴る。正午を告げる音だ。
カレンはそれを耳にすると、ゆっくりとため息を一つ吐いてクローゼットの中から小さめのカーペットを取り出して床に広げた。いつものように祈祷を行う為である。
本来なら精霊石を使った術を行使する為の鍛錬の意味合いが強いそれを、少女は文字通り祈りに使っていた。
広げられたカーペットの一番外側に描かれているのは円。その内側に三角を二つ重ねた六亡星が描かれ、更にその内側に少女が座れる程度の円が描かれている。その六亡星のそれぞれの頂点の位置に、火水地風の四大元素の精霊石に加え、光と闇の精霊石も置く。
普通なら石は周囲に置いたりはせず手中に握って、それに力を込めて使いこなす為の訓練をするのだが、カレンの祈りの先は掌中ではなく天であり、また既にこの世に存在しない者であった。祈りを捧げるのに石を配置するのは、その方が効き目がありそうだからというだけで、深い意味など無い。偶々光と闇の精霊石を自前で持っていたから、神殿から訓練用に渡された四大元素の石と一緒に六つの頂点に配置しただけだ。
精霊石を使う才能があっても、使いこなせなければいつまで経っても正式な巫女になどなれないし、あまりに長い間未熟なままであれば、神殿から放逐される可能性も無いわけではない事は少女も分かっている。
しかし、それでも良いと思った。
この腐敗した場所で巫女になっても、故郷の両親や兄が喜ぶとは思えない。
正式に巫女の一人となってこの神殿の綱紀を正そうとしても、自分の能力からして上の位階の人間に体よく利用される事は目に見えている。
澱みを一掃し、自分の正しいと思う状態になって欲しいとは思ってはいても、カレンはその方法を考え、成し遂げられるだけの頭脳も、上手く立ち回れる要領の良さも、現状に立ち向かえるだけの度胸も持っていなかった。家格すら大したものではない。家は故郷に戻れば滅びた王家の末裔の一つである事もあって、そこそこ知られた名士だが、王都に存在するこの神殿には似たような家の、いやそれ以上の家の者が掃いて捨てる程居るので、通用する程のものでもない。
唯一利用出来るものは、自分の身一つ。そしてそれは少女にとって、良くも悪くも使えないものだった。
(私が正式に巫女になったところで、きっと先程のように賄賂と引き換えに渡される護符を作る仕事を回されるのが関の山だわ……)
あの商人に渡されるだろう護符を、何も知らずに善意で作る巫女が居るとするなら可哀想だと思った。知っていて作るのならば尚更。もし賄賂の一部なりを受け取って加担しているのならば、それはそれで救えないが。
準備を終えてカーペットの中央にゆっくりと座り、天に祈る。
「開祖にして始祖たるマーヴェル様………」
呟くように紡がれる祈りの言葉。
「どうか……どうか、この神殿の窮状を救い、良き方向へと導かれますよう」
魔方陣と六つの石を使い、幾日にも渡って続けられたその祈祷は、既に祈りと呼ぶよりは呪文、呪詛に近いものとなっていたのかもしれない。
少女のその言葉に応えるように、六つの石の中に光が生まれる。それらの光は交じり合い、白い光となって呆然とするカレンと、カレンの部屋を塗りつぶした。
少女の耳に、巫女の皺枯れた声が、廊下に僅かに反響しつつ聞こえてきた。
「どうも痛み入ります。貴殿の歩く先にマーヴェル様の導きがあるよう、こちらも強く祈らせて戴きましょう。良ければ護符もお持ち下さいな」
「おお、それはありがたい……」
商人の方も、その答えに気を良くしたのか、明るく声を上げる。
段々と遠のいていく二人の声にカレンは彼らが立ち去った事を知り、念の為そっと廊下に顔を出して無人である事を確認してから部屋を出る。そうして小走りに廊下を駆け抜け、先程の部屋から持ってきた頼まれ物の新しいシーツを担当の者に渡して神殿の奥にある自室へと戻った。
中に入って扉を閉めたところで、カレンは扉に背を預けてずるずるとしゃがみこみ、膝を抱えて床に蹲る。
(この神殿は腐りきっています……!)
先程のような事は珍しい事ではない。
帝国率いる諸国連合軍に対抗する為、五王国を纏め上げ作られたこの聖王国が建国されておよそ千年。王家の血筋による独裁を防ぐためにと巫女の役割を王家から分離して、ほんの数十年。国の歴史に比べれば随分と短いその時間で、国を守る巫女達の住まうこの神殿は酷く腐敗していた。
「女王陛下が知ったら、どれほどお嘆きになられるか……」
美しく偉大な姿と力を国の内外問わず見せ付けている神殿の、その中身は酷いものだった。
特に筆頭巫女であるジーナの現在の行状は、思わず目を逸らしたくなるものが多い。
身に纏うのは絹で作られた法衣であり、寄付された装飾品を殆ど私物のように身に着け、食事も各地から取り寄せた高級食材を使ったもの。王侯貴族もかくやという贅沢な生活を送っている。
王宮からもぎ取った予算の数割を孤児への支援に使っているという触れ込みだが、回される額と現場で使われる額には大きな開きがあり、その差分は彼女の懐に入っているというのが通説だ。
ジーナは孤児の身から努力によって巫女となり、その優秀な頭脳を買われて神殿を率いる筆頭に抜擢された立志伝中の人物であり、彼女への憧れもあって遠い田舎から巫女見習いとして神殿に入ったカレンにとって、現実を目の当たりにしたショックは大きかった。
神殿を王家の管轄から外した事は、この状態を見る限り間違いであったと言わざるを得ない。
遠くで小さく鐘が鳴る。正午を告げる音だ。
カレンはそれを耳にすると、ゆっくりとため息を一つ吐いてクローゼットの中から小さめのカーペットを取り出して床に広げた。いつものように祈祷を行う為である。
本来なら精霊石を使った術を行使する為の鍛錬の意味合いが強いそれを、少女は文字通り祈りに使っていた。
広げられたカーペットの一番外側に描かれているのは円。その内側に三角を二つ重ねた六亡星が描かれ、更にその内側に少女が座れる程度の円が描かれている。その六亡星のそれぞれの頂点の位置に、火水地風の四大元素の精霊石に加え、光と闇の精霊石も置く。
普通なら石は周囲に置いたりはせず手中に握って、それに力を込めて使いこなす為の訓練をするのだが、カレンの祈りの先は掌中ではなく天であり、また既にこの世に存在しない者であった。祈りを捧げるのに石を配置するのは、その方が効き目がありそうだからというだけで、深い意味など無い。偶々光と闇の精霊石を自前で持っていたから、神殿から訓練用に渡された四大元素の石と一緒に六つの頂点に配置しただけだ。
精霊石を使う才能があっても、使いこなせなければいつまで経っても正式な巫女になどなれないし、あまりに長い間未熟なままであれば、神殿から放逐される可能性も無いわけではない事は少女も分かっている。
しかし、それでも良いと思った。
この腐敗した場所で巫女になっても、故郷の両親や兄が喜ぶとは思えない。
正式に巫女の一人となってこの神殿の綱紀を正そうとしても、自分の能力からして上の位階の人間に体よく利用される事は目に見えている。
澱みを一掃し、自分の正しいと思う状態になって欲しいとは思ってはいても、カレンはその方法を考え、成し遂げられるだけの頭脳も、上手く立ち回れる要領の良さも、現状に立ち向かえるだけの度胸も持っていなかった。家格すら大したものではない。家は故郷に戻れば滅びた王家の末裔の一つである事もあって、そこそこ知られた名士だが、王都に存在するこの神殿には似たような家の、いやそれ以上の家の者が掃いて捨てる程居るので、通用する程のものでもない。
唯一利用出来るものは、自分の身一つ。そしてそれは少女にとって、良くも悪くも使えないものだった。
(私が正式に巫女になったところで、きっと先程のように賄賂と引き換えに渡される護符を作る仕事を回されるのが関の山だわ……)
あの商人に渡されるだろう護符を、何も知らずに善意で作る巫女が居るとするなら可哀想だと思った。知っていて作るのならば尚更。もし賄賂の一部なりを受け取って加担しているのならば、それはそれで救えないが。
準備を終えてカーペットの中央にゆっくりと座り、天に祈る。
「開祖にして始祖たるマーヴェル様………」
呟くように紡がれる祈りの言葉。
「どうか……どうか、この神殿の窮状を救い、良き方向へと導かれますよう」
魔方陣と六つの石を使い、幾日にも渡って続けられたその祈祷は、既に祈りと呼ぶよりは呪文、呪詛に近いものとなっていたのかもしれない。
少女のその言葉に応えるように、六つの石の中に光が生まれる。それらの光は交じり合い、白い光となって呆然とするカレンと、カレンの部屋を塗りつぶした。
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斎里彩子
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