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ごった煮
気が向いた時に更新する箸休め的SS放り込みBlog。 二次は腐ってたりアンチしてたりもするので注意されたし。
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2025/06/18 (Wed) 22:53
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2013/05/29 (Wed) 20:07
 法印術士のみが登録できる国営ギルド《マデリン・レビゾーラ(夜明けの国の法印術士組合)》の朝はそれなりに早い。
 早朝の鐘が鳴るのとほぼ同時に職員用の通用口が開き、開業の準備が始まる。朝の鐘が鳴る一時間後までに、やって来た職員が配達物の確認や、建物及び周辺の掃き掃除を終わらせ、掲示板に仕事の概要を書いた書類を貼り付けたりする。そうして朝の鐘の音と同時に玄関口を開け、仕事を探しに来た登録者を迎え入れるのだ。
 グレンとフェリクスがギルドにやって来たのは、そんな朝の仕事請負の申請受理のラッシュも一息つき、職員が昼休憩までの時間をちらちらと確認しはじめた頃だった。

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「……フェリクス」
「はい、何でしょう?」
「本当にここで良いのか?」
「勿論です」
 明るく笑うフェリクスに、グレンは溜め息を吐く。
(どうもこの少年に会ってから、溜め息ばかり吐いている気がするな……)
 気がするどころか、実際多かった。
「いらっしゃいグレン」
「やあフローレンス」
 馴染みの受付嬢と親しげに挨拶を交わす。赤毛をポニーテールにした彼女は、グレンの後ろにくっ付いているフェリクスを見て、からかい混じりに無遠慮な質問を投げる。
「カワイイ子を連れてるのね。とうとうソッチの道に転んだの?」
「……よく見ろ、男だ」
「え?」
 グレンの言葉にフローレンスはフェリクスをまじまじと眺めた。少年の性別に懐疑的な視線を送っていたものの、やや骨ばった体つきや、扁平な胸元を見て男だと納得してくれたらしい。しかし、そのまま深刻そうに眉を寄せてちょいちょいとグレンを手招きし、訝しげに身を屈めたグレンに今度は小声で恐る恐るといった様子で訊ねた。
「…………少年趣味だったの?」
「唯の知人だ。殴るぞ」
 ぐっと拳を握るグレンに、さすがにマズイと判断したのだろう。フローレンスはカウンターから身体を離し、グレンから少し距離を置いた。
「あは、ごめんなさい。恋人の方は否定しなかったからもしかして、ってね」
「………」
 これ以上はさすがに怒るぞ、という意思を込めて睨むグレンに、さすがにそろそろやり過ぎだと感じたのだろう。フローレスは肩を竦めてカウンターの前に戻った。
「……で、今日の用件は昨日の報告?」
 グレンは頷いてポケットから折りたたんだ紙を取り出す。カウンターの上で広げられたそれは、何事かの書かれた書類だ。
「ああ、これが依頼主からの依頼完了のサインだ。それと、この子のアルバイト登録を頼む」
 淡々と告げるグレンに、受付嬢はにこやかに「分かったわ」と返し、カウンターの下から書類を何枚か取り出して二人に差し出した。
 
 フェリクスを変装させて宿屋まで案内した後、グレンは身分証の無い身では不便だろうと、フェリクスに偽の身分証を入手する依頼を自分にしないかと持ちかけた。蛇の道は蛇という事で、グレンには盗まれたり紛失したりした他人の身分証を集め、別の人間のものに作り変えて売ったりする違法な商売をする人間に心当たりがあったからだ。
 グレンの知っている売人の腕はどれもあまり良いものではないが、それでもアパートの部屋を借りたり、長期的なアルバイトが出来る程度の精度はあった。さすがに家や土地を買ったり、正式に就職するには厳正な審査がある為に難しかったが。
 何故出会って一日も経っていない相手に、こんな一歩間違えれば自分が危なくなるような話を持ちかけたのか自分でも分からなかったが、あえていうなら気が向いたからであり、少年の生活状況に多少同情したからであり、少年の容姿や性格に保護欲をそそられたからだろう。
 それでもしっかりと報酬を要求するあたり、ギルド所属の人間としての性分が染み付いているが。
 しかし、この場合はそれが良い方向に働いたらしい。
 報酬を要求するという事は、つまり契約だ。フェリクスはグレンの持ちかけた話に「ああ、取引というわけですね。それなら」と意外な程理知的な様子を見せ、乗ってきた。
 どうやら少年は本来の性分では、人の親切に甘えるタイプでは無いらしかった。あるいは甘えて借りを作ると後々面倒が起きる事をよく知っているのかもしれない。
 少年はそれまではそういう商売をしている人間が存在する事すら知らなかったらしく、また明らかに違法である事もあって説明の間は多少驚きと嫌悪を顕わにしていたが、自分がまっとうな生活をする為に多少の融通を利かせるだけの柔軟さは持っていたらしく、宜しくお願いします、と説明を終えた頃には意外な程素直な様子を見せた。
 そうしてフェリクスは闇で取引される身分証の相場を聞いてその高さに「盗んでおいてずうずうしいですね!」と少々憤慨しつも、家から持ち出したという宝石や金銀を使った指輪やイヤリング等の装身具の幾つかをグレンが紹介した売人に気前良く渡し、偽りの家名を手に入れたのだった。
 名前がフェリクスのままなのは、偽名では呼ばれた時にとっさに自分の事だと判断出来ないかもしれないからだ。どうせ変装や法印術で人相は隠すし、有名な人物にあやかった名前を子供に付ける親は珍しく無い。双美姫の名前も、そのまま付ける人間こそ居ないものの、フェリスやフェリシアーナ等の類似する名前はありふれていた。偽造とはいえ、身分証という別人である証拠を持っていれば、フェリクスという名前でも問題にはならないだろうとの判断だった。
 ちなみに「紹介料です」とグレンに渡された銀細工の髪留めは、明らかに職人の手で作られた超がつく程の高級品であり、芸術品だった。
 握り潰さないよう注意しつつ「これでは貰い過ぎだ」とフェリクスに文句に近い事を言ったが、少年は「昨日助けて貰ったお礼と、宿代も入ってますから」と言ってそのままグレンに押し付けた。
 そうしてグレンがこれでもう大丈夫だろうとフェリクスに別れを告げて去ろうとしたその時に、フェリクスはグレンの服の袖を掴み、更に依頼をしてきたのだった。
 まっとうに生活していく為にも、仕事を探すのを手伝って欲しい、そして家から連れ戻しにやってくる人間が来るかもしれないので、自身を護衛し逃走する手段となって欲しい、と。無論、報酬は払うから、と。
「仕事くらい自分で探せ家出息子」
 そう喉元まで出掛かった言葉を、ぐっとこらえた。
 正直、ものすごく下らないが、正式に依頼をしてきたのならグレンにとって「お客様」だ。拒むようなものではない。なので、代わりに「高いぞ」と返した。
 護衛や逃亡補助の依頼の場合、グレンはいつも結構な報酬を要求している。何しろグレンは移動系の法印術が使える術士であり、対象が一人であればほぼ確実に安全な場所へと逃がせるからだ。その達成率は今のところ一〇〇%であり、ギルドもグレンが護衛や重要な移送の依頼を受けた時は、成功報酬ではあるが相応の値段を依頼人に要求していた。ギルドを介さずに仕事を請け負う場合は、仲介手数料が掛からない分多少値引いでも収入は変わらないが、格安で請け負ったりはしないし、出来ない。安値で仕事すると、それ以降その客は勿論他の客に値引きを要求されても断りにくくなってしまうからだ。それ故にグレンに仕事を依頼するにはかなりの額が必要だった。長期となれば尚更。
 グレンが一月護衛につくだけで、先程売人に渡した分の倍近い金額を支払う事になる。フェリクスの所持する宝飾はどれもかなりの値打ちものだったが、それでもグレンを一年も雇えば消えるだろう。ちなみに売人に渡した指輪ひとつで、物価の高い皇都でも一般向けの宿ならひと月は泊まれる。
 提示されたその値段に、さすがにフェリクスも考え込んだ。
 しかし、グレンも絶対に断りたいわけでは無い。フェリクスが大金を払うという事は、この場合グレンに大金が入るという事であるからだ。
 護衛の仕事は非常に実入りが良いが、当然ながら毎日のようにそんな依頼があるわけが無い。グレンのこなす仕事の多くは、物品の配達や探索など、報酬の安いありふれたものだ。
 それでなくとも危険が多く、収入の不安定な職業である。安定した老後を送る為にも、高額の報酬が期待できる依頼を受けない手は無い。
 グレンは少年に、とりあえず一月だけ自分を雇い、その間に追っ手が掛かっているかどうか調べてみてはどうかと持ちかけた。
 勿論、仕事を探すのも手伝ってやると言って。
 どっちにしろ少年は生活手段を得る必要があるのだ。宝石は売れば無くなるし、売った所から足がつく可能性もある。それに働いてもいないのに金回りのいい人間など、傍目には怪しいことこの上ない。
 仕事の紹介などほんのひと手間であるし、皇都まで少年の家の手が伸びていないなら、それ以上グレンを雇う必要も無い。少年がいつから家出をしているのかは知らないが、行方不明から数ヶ月も経てば、大抵の家の場合は捜索の手を緩めるか、あるいは捜索自体を諦める。フェリクスの家もそれくらい時間が過てば諦めるだろうし、その間に少年も皇都の生活に馴染むだろう。
 フェリクスも高額の依頼料に多少躊躇いはしたものの、追っ手への恐怖とグレンの能力の便利さには抗い難いものがあるらしく、そうしてひと月だけの護衛契約は成立したのだった。
 しかし、最初にフェリクスが挙げた就きたい仕事の条件は、かなり無茶なものだった。
 曰く、
「休みが多くて就業時間が短くて収入が多くて楽で食事が出る仕事がいいです」
 というものである。
 最初に聞いた時、グレンは「お前、世間を舐めているだろう」と思わず手の平で少年の頭をべしりとはたき、「そんな職場があったら真っ先に自分が面接を受けている」とつっこんだ。
 いや、グレンの知識にもフェリクスが求めるような条件の職は存在はする。する事にはするが、それは所謂商会等の会長や王侯貴族の事だ。
 仕事は行事以外はいつこなしても良いから休みは取りたい放題だし、部下に仕事を任せれば殆どやらなくてもいい。企業や領地が広ければ収入も多いし、食事は使用人が作ってくれる。勿論、実際にそんな生活を送れば無能や怠け者の烙印を押されるだろうが、出来ない事は無いだろう。
 しかし当然ながら一般庶民がなれるようなものではない。いや、金持ちの囲い者になれば似たような生活は送れるかもしれないが、そういう目的の相手に少年を紹介するなど、人身売買も同然だ。さすがにそんな事をするつもりはなかった。
 フェリクスの希望は即時却下したものの、では少年に何が出来るのかと訊けば、変身の他には読み書き計算くらいしか無いらしい。「古語や歴史も学びました」と言われたが、そんなものが役に立てられるのは学者や冒険者くらいだし、学者になる為にはどこかの高等学院の卒業資格か、貴族位が必要である。高等学院の卒業資格は持っているのかと訊いてみたが、当然ながら持っていないという。無論、偽名を使って暮らす以上、資格があっても証明出来ない為に使えないが。とはいえ、そんな分野をどこで学んだのかは気になったので訊いてみると、勉強は教師を家に呼んで教わっていたらしく、彼らからだという。
 その言葉にグレンはまた溜め息を吐いた。
 どうやらフェリクスは本当に間抜けらしい、と。
 オーレストでは、一般人は学舎等で勉強するのだ。よしんば病気を患うなどの理由で家庭教師を家に呼んで学ぶ事になったのだとしても、古語や歴史は高等学院で学ぶ事であり、学院外でそれらを教える事も学ぶ事も基本的に禁じられている。それが出来る例外は貴族だけだった。
 家で高等教育を受けたという事は、自分は貴族だと言ったも同然である。
 高価な宝飾品を持っていた事から薄々察してはいたものの、少年の護衛としての先行きがかなり不安になったのは間違いなかった。
 しかし、それでも請けた以上はどうにかしなければいけない。
 少年の身体は細く、肉体労働にはあまり向いていそうに無い。それでなくとも法印術士はその能力の代償か、あまり筋力がない、というかはっきり言って貧弱な肉体である事が多いのだ。勿論、鍛えればグレンのように常人以上になる事も可能だが、生憎そんな時間は無い。そして家から逃げているというなら、人とあまり接しないか、あるいは接する相手が限られる仕事が良いだろう。
 悩んだ結果、どこかのギルドに所属するのはどうかと持ち掛けた。
 基本的に仕事をしたい時にする事が出来るので休みたいだけ休めるし、事務仕事等の依頼もあるから体力が無くても大丈夫だろう。大金が欲しいなら高額の依頼を受けて達成すればいい。さすがに食事は用意されていないが、大抵のギルドの建物周辺にはギルド関係者の出入りを見込んだ店舗が幾つも並んでいるのだから食事はその辺りで摂れば良いし、ギルドの職員には基本的に情報の守秘義務があり、それには登録者の情報も含まれるから、彼らから居場所がバレる事もそう無い。仕事の手続きはその殆どを受付嬢がやってくれるから、依頼の種類によっては依頼主と顔を合わせる事すらしなくて良い。
 グレンの説明に、フェリクスはあっさりと「それはいいですね」とギルド行きを決めた。しかもグレンと同じマデリン・レビゾーラに。
 何故そこなのかと訊ねると、「術士が隠れるなら、術士の中ですよ。それにその方がグレンさんにも都合がいいでしょう?」との事だった。
 確かに、術士でも一般ギルドに入る事は出来るが、少年の顔や、法印術士という存在が一般人と比べて少数派な事も考えると、良くも悪くも目立つ事は間違いない。それでなくとも新人は目立つのだから、術士専用ギルドの方が術士としての関心を集めないだけマシだろう。グレンが傍に居る事も、同じギルドなら護衛している事自体を、「世話を焼いている」「パーティを組んでいる」等の理由で隠す事も出来る。
 そして更に「変身能力を持ってる人が居ないなら、需要もあるでしょうから」と付け足すように言われた。
 グレンが尋問した時に言った事を覚えていたらしい。
 確かに、芸を持っているならそれを使わない手は無い。フェリクスによれば、法印術を使えるようになったのは家出の前日であり、少年が術士である事は法印で知っていても、その能力が変身である事を知っている人間は居ないだろうとの事だった。ならばその能力を飯の種にしても大丈夫だろう。
 間抜けではあるが、学も記憶力もあるようだし、そこまで頭が悪いわけでは無さそうだと判断し、グレンも「まあ、これなら何とかなるか」と一先ず安堵の息を吐いたのだった。

「そういえば、悪人とかがギルドに登録したりはしないんですか?」
 登録を終え、ギルドのアルバイトの仮登録証を受け取ったフェリクスは、『茶色い頭』を揺らしつつ、登録証を眺めながらグレンに訊ねる。
 グレンは受付に仕事の完了報告として依頼主のサインが入った書類を受付嬢に提出しながら、少年の質問に答えた。
「偽名でもバイトは出来るから、そういう事も偶にあるらしいが、犯罪が明らかになっていなければ問題にはならんし、犯罪歴がある奴はギルドに登録出来んという建前がある以上、犯罪者として手配書に載るような人間は弾かれるから、無差別に登録されるわけでは無い。登録後に手配された場合は登録も抹消されるし、逃げても賞金稼ぎが捕まえる」
「へぇー」
 フェリクスが感心したところで、フローレンスが紙幣の入った紙袋をカウンターに差し出す。
「お待たせ、これがグレンの今回の報酬よ。それと、ヴァレンタインさんの審査の用意が出来たそうだから、地下一階の受付へ向かって頂戴な」
「あ、はい」
 登録に当たり、フェリクスは『フェリクス・ヴァレンタイン』と名乗る事にしたらしい。無論、家名は偽名であるが、グレンは少年がその偽名を名乗ると言った時、思わず感心した。
 ヴァレンタインはとある貴族の家名だが、百年近く前に本家の一人娘が他所に嫁ぎ、他に血の濃い血族が居ない事から現在は嫁ぎ先に吸収された、云わば断絶に近い扱いを受けている。しかし、名前だけの傍流は山と存在していた。というのも断絶する数代前の当主の弟は色事の方面で大変活動的であり、貴賎を問わず多くの女性を妾として抱えていたという話で、その男が死んだ後、妾達は子供と共にヴァレンタイン家を追い出され、その多くは市井で生涯を終えたのだという。それ故に、現在でも皇都にはヴァレンタイン家に連なる人間であると言ってその家名を名乗る市民は、真偽を問わず多く存在していた。
 ヴァレンタインを名乗れば、相手はフェリクスの素性をある程度勝手に推測してくれるだろう。ヴァレンタイン家の初代は当時の皇王の妾腹であるらしいので、あるいはその素顔を見ても、ヴァレンタインの血族であるからと考えてくれるかもしれない。
 間抜けというか、世間や皇都の常識に多少疎いものの、やはり頭は悪くないらしい。
 知識が足りないなら、自分が教えてやればいいのだ。依頼主を危険から遠ざけるという意味では、そうした事も護衛の範疇内だとグレンは考えている。
 出会ってから僅かな時間しか経っていないが、知らない事を教わる事を面倒くさがったり恥ずかしがる少年では無いと思うし、少年が上手く立ち回る事が、ひいては少年自身を守る事に繋がるのだから拒みはしないだろう。
 そういう面倒見が良く、細やかな、女性らしいと言ってもいい無意識面での考え方が、今までグレンの仕事を少なからず助けていた。
 グレン自身の意志でも、ギルドの関知しない仕事とはいえ、依頼人によるミスで護衛任務達成率百パーセントという輝かしい経歴に黒星をつける、などという事態を招くつもりは無い。
「この先ですか?」
「ああ」
 フローレンスに言われて向かった階段を下りると、そこには小さな小部屋があった。壁際に長椅子や観葉植物が置かれている事からすると、待合室や休憩所のような使われ方をしているのだろう。入ってきた場所から正面の壁には両開きの扉があり、扉の木枠には何故か建物に不似合いな程美しい模様が刻まれている。
「さっさと中に入って済ませて来い。私はここで待っている」
「……グレンさん、わたし本当に変身してなくて良いんですか?」
 フェリクスが不安げに見上げてくるが、グレンはパタパタと軽く右手を振って否定を示した。
「むしろしない方がいい。変身なんぞしていたら審査を受ける以前に部屋にも入れん」
「どういう事ですか?」
「防犯の為、この扉の先には許可された人間以外の法印術の使用を封じ、かつ使用している法印術を強制的に解除する結界が張られている」
 地下階には審査室の他に金庫やギルドマスターの執務室等もあり、それ故に警備もかなり厳重になっているのだ。扉の縁に刻まれた模様はその昔この術を使った者が、その対象に決まって刻んだという模様で、サインのようなものらしい。現在はその模様が何であるかを知っている味方には「ここから先は行儀良く振舞えよ」という注意を、敵には「ここから先は向こうの独壇場だ、引き返すならここが最後だぜ」という警告を無言で与えているのだ。
「強制的に解除……、そんな事が出来るなんて初めて知りました。凄いですね……!」
 少年の純粋な賞賛に、グレンは自分がやった事でもないのに何故か嬉しくなった。
「まあな。こんな強力で特殊な結界を張れる人間はそうそう居ない。ここの術でさえ、数百年ほど昔の術士が掛けたものだしな。確か、メリーナとか何とか……」
「あ、もしかしてメリナ公爵家のどなたかですか? ええと……皇妃様のご実家の。結界系の法印術で右に出る者は居ない一族だと聞いています」
「ああ、多分それだ。名前は忘れたが、彼の作品で現存している場所は、この辺では古くからあるようなギルドや銀行、それと高位貴族の屋敷や皇宮の一部くらいだろうという話だ」
「皇宮にも、あるんですか……そんなすごいモノがここにもあるなんて……!」
「魔法的なものだから、物理的な変装は当然ながら見破れんがな」
 言いながら、グレンはちらりとフェリクスを見る。グレンが拙いメイク技術をどうにか駆使した結果が、現在の少年の姿だった。
 白い肌は地肌よりやや濃い色のファンデーションを塗って、多少色を濃くした上に彫りを浅く見せており、胸元まである黒髪は染め粉を使って濃い目の茶髪に変えられていた。整った愁眉もまたペンで少し書き足され、やや形を変えられている。
 ついでにクローゼットの中から適当に見繕って少年に着せた黒いタートルネックの服は、グレンのものとはいえ身体にフィットするタイプである事もあり、小柄なフェリクスが着てもあまり大きくは感じられない。肌を見せない長袖のそれは、それでも少年の体の線を十分に現しており、性別の判別を多少容易いものとしている。
 今のフェリクスは少しオリエンタルな雰囲気を感じさせる美少年ではあるものの、一見した限りではとてもフェリシア皇女と同じ顔には見えなかった。
「まあ、化粧をしているのがバレたとしても、落とせとは言ってこないだろう」
 審査時に髪を染めていたり化粧をした状態である事は問題にはされない。どれもファッションの一つであり、もし女性にそんな事を言った日には、登録者だけでなく職員からも文句が出るだろうからだ。
 年頃の少年に化粧をさせるのは可哀想かと思ったが、フェリクスはあまり気にしていないようだった。化粧をしなれない人間には無意識に顔を擦ったりする人も居るが、少年には今のところそういう様子も無い。
「それに地下に入るのは今日くらいのものだから、もう化粧の必要なんて無いだろうしな。私も長いことこのギルドに居るが、ここまで来るのは今日が二度目だし。だが仕事をこなしていく為にも、出来るだけ早く法印術は上達させろ」
 マデリン・レビゾーラには法印術士用の訓練施設がある。ギルドの構成員は誰でもそこで講習を受け、訓練をする事が出来るのだ。今後の事を考えるなら、フェリクスのスキルを上げる事は必須と言って良かった。
 変身の法印術は最高レベルまで達すれば触媒を必要としなくなる上、自身と変身対象の体積にある程度の差があっても変身が可能となる、という話だ。赤ん坊だろうが大男だろうが、人間のサイズの範囲ならまず問題は無い。
 伝説に語られる能力者には、実在する相手だけでなく神話や空想にのみ存在する、竜や麒麟のような巨大な異形の姿に変わる事が出来る者も居たという。
 さすがにそこまで常人離れした能力は求めてはいないものの、護衛を請け負ったグレンとしては、安全性を高める為にもせめて自身の髪くらいは、長さだけでなく色も自在に変えられるようになって貰いたかった。
 人物を判別する手段として、髪の長さと色は、大きな判断材料となる。長い髪の人間が髪を短く切った場合でも、別人だと判断する人間が居るくらいだ。短い髪が突然長くなった場合、同じ人間だと判断する人間はそうそう居ない。それが地毛なら尚更だ。
 触媒無しでいつでも変身出来るようになるのが一番確実だが、グレンが以前ギルドで受講した対能力者戦の講義によれば、変身系の能力者が触媒を必要としなくなるにはかなりの腕が必要となるらしい。フェリクスにいきなりそこまでの上達を期待するのは酷だろう。
 そんなグレンの内心を察したかどうかは知らないが、フェリクスは苦笑しながら「頑張ります」と告げ、グレンを残して扉の中へと入っていった。

 フェリクスのアルバイトとしての正式登録は、拍子抜けする程アッサリと済んだ。
 基礎学力などに関する簡単な質疑応答の後、地下の結界を中和する結界の上で変身するよう言われ、本当に能力者である事と、能力のレベルを確認された程度である。
 家名や容姿の事で面接の職員に何か言われるかと思ったが、紹介者欄と未成年者用の保護者欄に書かれたグレンの名前が職員の目に留まったくらいで、それも「ああ、彼女の紹介なんだ」という一言でサックリと流された。
 フェリクスは扉の手前の小部屋で待っていたグレンと合流し、受け取ったアルバイト登録証を彼女に見せてにっこりと笑った。
「これで仕事が請けられるんですよね?」
「まあな。……ふむ、やはりGランクか」
 ギルドに登録した直後の初期ランクは、最低ランクであるG。
 三年以内に兵役に就いていたり、他のギルドである程度のランクにあった場合は多少高い位から始まる事もあるが、基本的に誰でもGから始まるのだ。
 ちなみにランクは基本的にAからGまで存在し、Aが最高ランクとなっている。そして特殊な例外として、Aランク以上の能力があると認められるか、あるいはギルド及び国家に多大な貢献をしたと判断された場合に与えられるSランクと、ギルド職員となった者がB以上のランクであった場合に与えられる位であるMランクが存在する。
 一階に戻った後、グレンはフェリクスに建物の案内や仕事の受け方の説明をした。
「あそこの壁の掲示板に張られているのが今週入った新しい仕事依頼だ。それ以前のものはさっきの総合受付に行けば、リストを見せてくれる」
「分かりました」
「それと、向こうの掲示板がギルドからの告知用のものだ。カレンダーや講義の予定表も張ってある。あっちにあるのが講習用の部屋で、その向こうにあるのが裏庭の訓練場に行く為の扉だ。訓練の仕方は向こうで教官が教えてくれる」
「はい」
「……一応言っておくが、今日は化粧をしているし、髪に使った染め粉も水で落ちる類のものだから、訓練に参加するのはやめておけ」
 汗で化粧が崩れた顔は、正直見られたものでは無いし、髪の色が汗で落ちるのも不味い。
「ええ、分かっています」
 フェリクスは訓練をした場合に自分の姿がどうなるか想像したらしく、苦笑を浮かべた。変身して訓練を受けるなら問題は無いが、しかし訓練を受けるのに変身するなど怪しんでくれと言うようなものだろう。そうしてふとグレンを見上げる。
「でもこれから暫く、どういう『格好』でここに来るべきでしょうか」
 人目を憚って少々遠まわしな表現を使っているが、この場合の『格好』が、服装という意味ではないのは明白だ。
 グレンはどうしようかと考え込む。しかし、一つしか方法は浮かばなかった。
「……やはり誰かと同じ『格好』、という方向で行くしかないな」
 受付の人間に不審がられるだろうし、変身対象に見つかった場合にも少し気まずくなるだろうが、どうせギルドに変身能力者として登録しているのだから、変身の訓練中だと言い張ってフェリクスの登録証を見せればどうにかなるだろう。会う度に違う人間の姿では受付に顔を覚えて貰えないだろうが、素顔を考えればそれはむしろ都合が良い。
「触媒があれば、対象の姿を見た事がなくても変身出来るのか?」
「ええ」
 グレンの問いにフェリクスはこくりと頷いた。
 変身には相手の情報が必要で、目で見るよりも対象に触れる方が得られる情報の量が多いのだという。変身の法印術は絵を複製するようなもので、触れて変身する場合は版画、見るだけで変身するのは模写のようなものなのだという。そっくりなものを作り上げる為の難易度が格段に違うという事だった。しかも絵画ならば多少失敗しても描いた絵は残るが、法印術は失敗すればその場で全てが無に帰す。失敗した状態、つまり対象とは別の姿になった状態で術を留めるにも、ある程度の技術が必要なのだった。
「では、私の仕事先で似たような体格の人間が居たら髪などを失敬する事にしよう。暫くは化粧とそれで凌ぐという事で」
 グレンがフェリクスの護衛をしている事は、事前に相談して隠す事に決めていた。そして護衛の間不審に思われないようにある程度いつも通りに仕事を請け、その間フェリクスは相棒と称して同行したり、それが無理なら宿やグレンのアパートで待つという事も。
「お願いします」
「法印術の訓練には、法印の系統が違っても共通するものが幾つかある。私が知っているもので、室内で出来そうな訓練方法を幾つか教えよう」
「はい、頑張りますね!」
 そう言って意気込む少年の肩を、グレンは笑いながら励ますように軽く叩いた。
「うむ、精進しろ」
 そのまま受付のカウンターに連れ立って向かい、フローレンスにリストを見せてくれるよう頼む。ポニーテールの受付嬢はやってきた二人ににっこりと笑いかけた。
「あら、受かったのね」
「ああ」
「それじゃあ、これから宜しくね。……フェリちゃん、って呼んでいいかしら?」
「あ、はい、構いません。こちらこそよろしくお願いします」
 フェリクスはフローレンスが差し出した手を取り、握手を交わす。フローレンスははにかむように笑う少年にさらりと告げた。
「うふふ。今度、ちゃんとしたお化粧の仕方を教えてあげるわね」
「え」
「男の子が化粧をするのは構わないけど、もう少し上手にしないと。――手と顔の肌の色が全然違うわよ?」
 言われてフェリクスはハッと受付嬢が握っている自分の右手を見た。グレンが舌打ちする。
「これだからお前は苦手なんだ……」
 苦々しいといったグレンの様子に、フローレンスはころころと可笑しそうに喉を振るわせた。
「ふふふ……。変装の腕を磨きたいなら、専用の道具を売っている場所があるから今度教えてあげるわ。……はい、リスト」
 言って、フローレンスはカウンターの下から分厚いファイルを二冊取り出した。フェリクスは片方のファイルをぺらりとめくり、一覧に記載された量の多さに目を見張る。
「沢山あるんですね」
「あら、これでも他のギルドに比べると少ない方なのよ?」
 法印術士専用ギルドである事から、入る依頼も法印術士向けのものが多い。単純な作業や力仕事の依頼があまり入らない分だけ、他に比べると少ないのだ。
 リストを見るフェリクスに横からグレンが口を挟む。
「仕事の対象ランクで分類されたリストと、諜報系や討伐系、探索や採取系等で分類されたリストの二種類があるから、見る時の目安にするといい。変身能力が求められるのは大体諜報系だろうな。あと、種類別リストのその他の項目にも、誰かの代役をして欲しいとかの、ほぼ変身能力者専用の依頼があったりするから、チェックするといいだろう」
「あら、Gランクじゃまだそんな信頼の必要な依頼を請けるのは無理よ。せめて簡単な依頼を幾つかこなしてからでないと」
 ギルド登録ランクによって、請けられる仕事のランクも当然違う。ギルドランクがDの者は、対象ランクでもD以下の仕事しか請けられない。ランクの昇格は基本的にポイント制で、そのランクで一定以上のポイントが貯まれば昇格出来る。ポイントは基本的に昇格するごとに切り捨ててゼロから始まるので飛び級はそうそう出来ないが、最下級のGならどんなにポイントの少ない依頼ばかり選んでも、十ほどもこなせばFランクに昇格できる。
「初心者ならほら、このあたりの……捜索係で、失せ物探しとかはどうかしら? 無くした指輪とか、迷子の子犬とかを探す、街の中のやつ」
 捜索系の依頼は、探す対象や場所で大きくランクが変わる。魔物の居ない街の中を探すものなら、外や遺跡のそれに比べて比較的対象ランクが低いものが多いのだ。
 フェリクスはフローレンスに示された辺りの依頼リストをパラパラと捲っていく。捜索の依頼の殆どには対象の写真が添えられていて分かりやすい。その中に、ふいに目に留まるものがあった。
「あ」
 小さな女の子が猫を抱えている写真だ。亜麻色の長い髪を三つ編みにして胸元まで垂らした七、八歳くらいの少女が、灰色の縞猫を抱えている。ふわふわとしたやや長めの毛が可愛らしい猫の首には、首輪の代わりか釣鐘型の鈴がついた赤いリボンが結ばれており、可愛らしい少女と猫が相まって、非常に心和む一枚となっていた。しかし、その猫の部分を囲うようにペンで無粋な赤い丸が書き込まれている。依頼の概要からすると、どうやらこの猫が捜索の対象らしい。
 フローレンスはフェリクスの声に顔を向け、少年がページを捲る手を止めた事に気づき、ファイルを覗き込んだ。
「どうしたの……ってああ、可愛いでしょう? 迷い猫なの」
「何だ、見覚えでもあったか?」
「え、あ、はい。前に泊まっていた宿の近くで……」
 フェリクスが頷く。本当にこの猫かどうかは分からないが、首に着けているリボンと同じものをつけた猫に覚えがあるのだという。
「ふうん……。じゃあ、その迷子の子猫ちゃんを家まで届けるのを、最初のお仕事にする?」
 その言葉に、フェリクスはちらりとグレンを見た。これを請けても大丈夫かどうか不安なのだろう。グレンはフェリクスの不安を打ち消すように、こくりと頷いた。捜索系は低ランクでは依頼主に会う必要はほぼ無い。この依頼も、捜索対象をギルドに持って来れば諸々の手続きはギルド側がやってくれるので、望まない限り依頼人と顔を会わせる事は無い。
「好きにするといい」
「はい」
 グレンの了承を得て、フェリクスはその依頼を請ける事をフローレンスに告げた。
「頑張ってね。ああ、ちなみにこういう捜索系の仕事は表に張ってる手配書と同じで、見つけてから申告してくれればそれでいいから」
 事前にギルドに報告する必要は無いのだと言われ、フェリクスは僅かに顔を赤らめる。
「あ、そうなんですか」
「まあ、そのあたりは少しずつ知っていけばいいさ」
 グレンがフェリクスの肩を軽く叩きながらフォローを入れた。そのままくるりと少年の身体を反転させ、入り口へと促す。
 引き返していく二人に、受付嬢はひらひらと手を振る。
「いってらっしゃい。捜索系は早い者勝ちだから、誰かが先に見つけちゃってても怒っちゃだめよー?」
「ああ」
「行って来ます」
 微笑むフローレンスに見送られ、グレン達は一旦ギルドを後にしたのだった。

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