2013/05/29 (Wed) 15:24
********* 09: 生贄と鎮魂曲
オディロ院長に致命の傷を与えたドルマゲスは、そのまま姿を消した。
後に残ったのは冷たくなっていく恩師と、呆然と涙を流す俺とエイト達、そしてどうにか気絶から目覚めたマルチェロだった。
「……してやられたものだな」
唇を噛む。
夜半、魔物の討伐と建物の鎮火が終わって騒動が一段落し、院長の遺体を棺の中へと収めた所で、俺とマルチェロは皆に促され、一足先に連れ立って執務室へと戻った。
マルチェロは怪我を押しての片付けの采配もあり疲労が濃く、俺も怪我の他に祈祷の報告をする必要があった。朝になれば院長のの葬儀の喪主をしなければならないのだから、今のうちに一息吐くべきだろうという皆の配慮だろう。
執務机に腰を落とし、深く長い息を吐く異母兄に、しかしククールは心労を増やすと知っていても告げておかねばならない事があった。
それがここまで同行した理由でもある。
「……団長」
「…………」
無言で話を促すマルチェロに、ククールは重たい口を開く。
「申し訳ありません。祈祷に行った貴族の方の屋敷で粗相をしてしまったのですが、謝れぬまま戻ってきてしまいました。後日、抗議がくるかもしれません」
内容は全面的にククールの失敗についての謝罪だが、その言外に匂わせた出来事を理解できないマルチェロではない。
のろりとした動作で上げられた顔。その目は憎々しげにククールへと向けられ、そしてその直後悔しげに、あるいは苛立たしげに伏せられた。
責める理由が無い事は自分でも分かっているのだろう。
何をされるか分かっていて送ったのも、逃げて良いと言ったのもマルチェロだ。そも、身体を要求されて拒んだからと言って、普通は責められるものではない。
だが相手は若輩とはいえ名の知られた聖職者の身体を要求するような俗物だ。この窮状にどんな要求をしてくるか分かったものではない。
厚顔無恥に何も無かった事にしてお悔やみの言葉を吐き、寄付金をちらつかせて再びククールを一晩貸せと要求してくるならまだ可愛いものだが、祈祷に不備があったと咎めて賠償と共に自宅の礼拝堂の為に専属に寄越せと強要して来ても可笑しくはないのだ。
教皇の同輩であったオディロ院長が亡くなり、サヴェッラとのパイプは揺らいでいる。火事と魔物の発生で、修道院のあちこちがボロボロになってしまった。唯でさえ資金繰りに四苦八苦しているというのに、葬儀と修繕で更に金が出て行くだろうという状況で、そんな要求をされては溜まったものではない。
「……場合によっては、私がもう一度赴いて謝罪をして参ります」
ククールの件の後始末まで背負い込めというのは、命じたのがマルチェロ自身であるとはいえ、腹ただしく思える事だろう。
ククールとて、こんな状況になった現在、自分の感情や貞操を優先して手段を選ぶ余裕は無い。吐き気を堪えてでも、煩わしい事はサッサとカタを付けておくべきだと思った。
「……ククール、お前は……!」
マルチェロは怒りを孕んだ声で呻いた。
『今回』のマルチェロは、『以前』程ククールへの憎しみをぶつけない。だがそれは薄まっているからというわけでは決してなく、ククールがぶつけられる理由や状況を作らなかったというだけだった。
むしろ表に出して発散しない分、濃さを増しているのではないかと思われた。
自分と母親がドニの屋敷から追い出された原因。
しかし、ククールはマルチェロに父親の生死を選ばせた。復讐は叶ったも同然だ。
ドニ領とて、今まではオディロの預かりとなっていたそれを今後扱うのはマルチェロだろう。そもそもククールは、修道院に来る際に望むなら領地の相続権をマルチェロに譲ると申し出ていた。成人をとうに過ぎた現在、マルチェロは望めばいつでも、ドニ領主を名乗れる。
居場所を奪われるという危機感も、資金難という現状ではククールの助けは不可欠ではある。そしてククールはマルチェロの地位を危ぶませまいと、人々に直接触れ合えるからと嘯いて下位階のまま、昇進を何度も蹴っている。
マルチェロの望みや欲を、ククールは邪魔しない。その上『前』のように醜聞になるような行動もしない。
そして年を経るごとに、マルチェロ自身感情のままに行動するだけの勢いと若さが無くなり、大人になった精神が、理性が、ククール自身は何もしていない事や、今ではただの天涯孤独の青年である事、子供に当たる事がいかに醜いかを教え、更にククールを虐げる事のデメリットがそれに輪をかける。サヴェッラまで名前を届かせる『賢者』と、修道院を束ねる騎士団長が不仲であるなど、方々に余計な波風を立てるだけだ。
だが、理屈と感情はいつも連なってくれるものではない。
マルチェロの内にあるククールへの憎しみには行き場がなく、また開放する切っ掛けも無かった。
今までは。
「お前には……俺が、その程度だと……」
唇を噛み締めて睨みつけるマルチェロに、ククールは首を傾げる。
「……? 団長、何か問題でも……?」
何故マルチェロがそんな顔をするのか、ククールには分からなかった。
ククールは修道院に来てからは勿論、オディロの代行の件があってからはより一層、不自然で無い程度に出来る限りの注意を払って生活し、マルチェロに接してきた。
自分から気安く声を掛ける事もなく、マルチェロが修道院の金を私物のように扱って方々に根回しするのを咎める事もなく、神童と呼ばれていた頃の訪問者やドニの貴族であった血筋を利用して貴族達との仲介すら行い、命じられるままに祈祷をして回って寄付を募って資金を増やす事もしている。
ククールの行動は、マルチェロにとって都合が良すぎた。常に正しく、利が有り過ぎた。
その力量も含め、見通しすぎていた。
だからこそ。
「……っ俺は! お前の傀儡ではない!!」
ダン! とマルチェロは執務机に握りこんだ拳を叩きつけた。
マルチェロにとって、お膳立てされたその状況に身を置く事は、ククールによって用意された道を歩いているように感じたのだろう。
所詮お前など自分の手のひらで踊る程度の存在だと。
プライドの高いマルチェロにとって、それはどれだけ自分の益になる行為であっても、許せる事では無かった。
「ククール、お前はさぞや気分が良かろうな。どれだけその身を汚そうが、立身出世を蹴ろうが、ただ一つ『私の為になる』というその大義名分さえあれば、全て許されると思っている」
「なん……っ!?」
「それがどれだけ私の矜持を傷つけ、苛立たせているか、知っていたか? 知らんのだろうな。知るわけがない。所詮お前は、俺の事など本当はどうでも良いのだ。自分がやりたいように出来れば、それで良いのだろう」
突き詰めるならば、お前のやっている事は自己満足でしかない。
そう詰られたククールは、とっさに言葉を返せなかった。
そうだ、何が違う。
ククールの行動は所詮「自分の考える兄の望む行動」であって、目の前のマルチェロが望むモノであるか以前に、当の『兄』が望んでいる行動であるかすらも分からないものだ。
むしろ、『マルチェロ』にとって『ククール』は心優しい兄思いの優れた弟であるよりも、父に似た最低の男であった方が、良心の呵責無く憎める、親の事が無くとも憎むだけの理由を持つ、劣った存在であった方が、救いがあったのではないだろうか。
そう言って責める内なる自身の声を、ククールは否定出来なかった。
「教会内での評判も良く、高位の魔法すら使いこなし、あの道化師相手に善戦出来るだけの力を持つ。才能に胡座をかき、上を目指さぬその怠惰すらも、お前の頭の中では私の為という美談で誤魔化されているのだろう。―――反吐が出る!」
ククールとドルマゲスとの戦いを、気絶から目覚めたマルチェロは目にしていたらしい。
体力作りをしている事は知っていただろうし、祈祷の際に単独で向かう事からそれなりに戦える事は知っていただろうが、下手な騎士団員より戦える事までは知らなかったのだろう。それすらも、マルチェロの怒りの琴線に触れる。
「私は私に敵対する者は嫌いだ。……だが、貴様のように自分の才を抑えこみ、自らより劣った者に頭を垂れる者や、それを当然のように受け入れる者には憎しみすら覚える」
マルチェロはいつの間にかククールの目の前に立っていた。
ククールの修道衣の襟口を掴みあげ、息がかかる程間近でその舌鋒を振るう。
マルチェロにとって今や唯一となっていた尊崇し、敬愛する人物。恩師であり、育ての親であったオディロ。
彼が居なくなった衝撃と喪失感が、そしてドルマゲスとの戦いによる疲労が、マルチェロの理性を酷く摩耗させていた。大切な存在をみすみす失わせてしまった自身への怒りと、道化師やククールへの憎しみが、その神経を高ぶらせてもいた。
マルチェロは感情の昂ぶるままにククールを壁に叩きつけ、その衝撃に半ば意識を飛ばして床へと倒れこんだククールをそのまま組み敷いた。そうしてその白い首に手を掛け、ギリギリと縊り締め付ける。
「私は! 才によって、能力によって、見合った地位を与えられる組織を作りたいのだ!!
だがお前が! お前が私を、私が最も嫌悪する存在にする!!」
苦しい、息ができない。
物理的な衝撃に喘ぎながら、ククールの耳はそれでもマルチェロの怨嗟と慟哭を拾い上げた。
そうして、何が悪かったのかを理解する。
(ああ……そうか……)
ようやっとククールは己の失敗に気付いた。
『今』の自分がマルチェロの傍に居るには、その才を抑えこむのではなく、その悋気に触れまいと遠ざかるのではなく、もっと堂々と接しておけば良かったのだ。
才能ある人間に慕われるだけの人格者であるのだと、生まれ持った血による序列で従っているのではなく、初めて遭った時に触れたその優しさによって慕っているのだと、そうマルチェロに気づいて貰えていたなら、こんな事にはならなかっただろう。
そう、結局のところククールは再びその側に居る事を選ぶ程には、マルチェロを愛していたのだ。それがどのような種類の愛情であるかは、ククール自身にも分からなかったが。
無知から来る無鉄砲さを失い、知りすぎて臆病になった大人の精神が、ことマルチェロに対してはひたすら仇となっていた。
「ククール、俺は貴様が憎い」
ようやっと締め付けから開放された喉が空気を求めヒューヒューと音を鳴らす。しかし、今のククールにはもはや勢い良く息を吸うだけの力も意識も残っていない。
朦朧とする意識、涙にぼやけた視界が最後に捉えたマルチェロは、ククールの纏うローブに手を掛けていた。
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